波がなく、余りにも暇だったのでサーフィン雑誌で募集していた、読者エッセイを書いてみた。初めて書いたのでド素人ですが、せっかく書いたので・・・

お暇な方はどうぞ。

口癖


 現在、7月2日10時。いつもであったら既に海に入り、遠くからやってくるうねりを眺めている頃か、あの憎たらしいオンショアを受け早々に朝飯とも昼飯ともつかない間食をしている頃かもしれない。しかし、今日という日は、梅雨真っただ中で、天気図上で、僕の住む宮崎の沖合には、赤と青の線が入っている。そのことを理由に昨夜は多めに酒を飲み、遅めに起き、ないとはわかっていてもとりあえずPCの中で波がないことを確かめ、また布団に入るという動作にでる者が少なからずいるであろう、そんな日である。
 僕は、日本のサーファーの中では恵まれた環境にあるものだから、サーフィンができないという日の方が少ない。しかし、不運にもそんな日と僕の休みが一致してしまった時、退職した父親のように惰眠をむさぼり、すでに訳の分からなくなったワイドショーをみる一日なってしまう。「波が悪い日にね・・・」と貯めてしまった彼女との約束を果たそうと思った。しかし・・・「やっぱり、サーファーとなんか付き合わなければ良かった。」が口癖の彼女も、こんな日に限って実家に行ってくるようで、いつもだったら、僕が海に行ってくるのに布団から寝言のような「いってらっしゃい」を言う時間に出て行ってしまった。
 こんな日に家でボーっとしていると、壁に大きく張られたどこかの海の写真が目についてしょうがなくなってくる。そうなってくると、心の中にそっと閉まってある、旅虫がもぞもぞと動き出し、いけるはずも無いとわかっていても、カリフォルニアやハワイの雑誌の特集をごそごそと探し出してしまう。この旅虫が成虫になってしまった時、僕は仕事を辞めてしまい家の整理をしてしまう。旅に出るという行為は、僕の欲求のピラミッドの中でもかなり上位に存在しているのであるが、社会的にはあまりよろしくはないという自覚もあるものだから、「そっと」閉まってあるのだ。
 コンペ志向の強いサーファーであれば、勝った時の、賞賛や拍手がモチベーションとなるだろう。僕の場合は、初めての場所で波に乗り、移動の車の中でいつもと違う空気の香りがした時、ハートは一緒だけど肌や言葉の違う人々と心が通った時、様々な瞬間が記憶として刻み込まれ、それがサーフィンをしている理由となる。そして、あの時恐ろしく思え入れなかったあのビーチに入りたい、あの国のアイツが言っていたあの海に行ってみたいという気持ちが向上心の種となる。
 そして、その9月にはやはりと言うか、自分の中で自分がそうなるように仕向けた部分もあるが、LAXエアポートに降り立った。彼女には「待てるかわからないよ」と言われ、貯金は十分ではない。だから、来たというよりは来てしまったに近いかもしれない。しかし、これから出会うであろう波や風景や人への期待は、まるで遊園地に行く子供のように、戻ってからの不安や、道中のリスクなどを吹き飛ばすほどの力を持っていた。目的地はメキシコ。LAからバハを下る、最もクラシックなサーフトリップをしようという魂胆だ。
 空港にベタベタはってある、小さなレンタカー会社に連絡を取り、怪しげなヒスパニックから、怪しげな旧型のフォードのセダンを借りる。これが一ヶ月の旅の愛車だと思うと、レンタルでも旧型でも、旅の仲間が一人増えたようでなぜか安心感できる。慣れない左ハンドルに苦戦しつつ、PCHを南へ南へ下る。波情報も土地勘も何も無い。マリブ、ハンティントン、どこか雑誌で見たことのある地名をなぞるように下りていく。安いモーテルやキャンプ場のあるビーチを点々とし、気の合う仲間が見つかれば、何日かそこに泊ってみる。サンディエゴならあそこがいいぞ、メキシコならあそこだと言う情報を、レシプトの裏に書き込み貯めていく。メキシコの国境越えで学んだ運転の荒さにも慣れ、緊張感が解けた頃、空気が変わったことに気づく、空気の質がアメリカでは、凛や凉を含んでいたのが、灼や燥へ変化していた。その地の持つ、けだるさや発展途上ならではの臭みを持った雰囲気になぜか落ち着くことが出来る。その上、スペイン語という全く、右も左も分からない、コミュニケーションが取れないといった事態が、不便ということではなく、むしろその不便さが旅をより修飾してくれている。バハで何日も掛け、名もないポイントを回り、行き着いた先は、やはり名前も知らない広陵としたキャンプ場だった。明かりも無く、管理人も5時には帰ってしまい、あまりの寂しさに自分の存在でさえ驚くことがあるようなそんなへんぴなところだった。はるかNZから送られてくるスウェルは常に、大きいか、やや大きいか、すごく大きいのどれかで、波にも十分満足していた。しかし、ふと帰りたくなった。ここに比べれば、波のいい日は少ないかもしれない、けれど無性にあの、宮崎の海に入りたくなる。そう思うと車はLAに向かって引き返していた。
 LA発NW710便。安いチケットのせいなのか、安っぽいサービスになってしまった飛行機から小さくなっていくLAの夜景を見ながら考えていた。「旅をしたい。」という気持ちと同じぐらい、宮崎にいれば目と鼻の先にある、あの海を愛していることに改めて気づく。「愛する子には旅をさせよ」という諺がある。外を見て目を肥やせという単純な意味だけではなく、外を見ることによって自分のアイデンティティーを確立し、オリジンを知るという意味もある。黒潮の暖かい水、台風からもたらされるスウェル、そして、約束をしなくても偶然会えて、馬鹿話が出来る仲間たち、そんな環境が自分のバックボーンなのだと分かり、より愛おしくなる。
そんなことを考えているうちに、夕日に栄えるパームツリーが出迎えてくれ、宮崎に戻ってきた。聞き覚えのあるイントネーションで「サーフボードお預けの方!」と何度もグランドホステスが叫んでいる。重たいバックパックとサーフボードを持って空港を出ると、バス停へと歩き出した。一応今日帰ること彼女には連絡したが、返事のメールは届いていなかった。これから探さなければならない仕事のことや、手に持つ荷物の重さのせいで、少し辟易し、うつむきながら歩いていた。その時、僕と同じように少し辟易した顔の女性が近づいてきた。目が合った瞬間僕は声には出さず唇だけで「よ!」と言った。そして、僕に最初に「おかえり」を言ってくれたのは、「サーファーとなんか付き合わなければ良かった」が口癖の彼女だった。