友人が亡くなった。

知らない人は知らないので、誰がーとか、どうしてーとかは置いておく。自分も、周りも気持ちの整理がついてきた。

その人とは2年前ぐらい、あそこのビーチで知り合い、そして波を探して向こうの海を探しに行ったのが始まりだった。その後は、友人として、こっちの海でも、あっちの海でも、会ったときには人生にとって何も役に立たないような話をして(役には立たないがとても豊かな話だが)、海の中ではあーのこーの言わない「いまの波良かったね〜」とか「しくったわ〜」とか大体一言だけの会話。

彼の生い立ちも良く知らない。

だけど、確実に海を通じて育んだ仲間だった。

そういえば、こんなこともあった。
僕たちがお互いの連絡先を知らないことに周りのみんなが苦笑した。じゃあじゃあと交換するのがちょっと照れくさく、またどうせ海で会うし、男同士そんな電話することもないでしょーと流した。

だから、実際僕の携帯のメモリーには彼の名前はなかった。

同じような経験が昔もあって、今でも、もう4年も経つけどもどうしても消せない名前が電話帳にある。

自分でもどうしてかわからないが、彼の電話番号を今更ながら聞いておけば良かったと後悔している。

4年前の彼の場合は、偶然彼の名前を携帯で見た時、たった1秒の時もあるし、10分の時もあるけれども、彼を思い出し、彼と心の中の会話を楽しむことが出来る。

たぶん、彼の電話番号が携帯電話に入っている仲間たちは、僕と同じように、彼の番号が消せなくて、そして何年後かにもふとしたところで彼と話をするだろうとおもう。

閑話休題

そんな仲間が亡くなったことが、つらい。
「好きな海で死ねたのだから」とか「人の寿命は決まってってー」とかありきたりな理由で自分を納得させようとはするが、つらいものはつらい。

なんかまとまりがなくなったけど、言いたかったのは、「出会いと別れは表裏一体、別ればかり際立ってしまうけど、人との出会いを大切にしなくては」ということ。